2013年11月26日

14年前の東北ひとり旅の記憶(9)

❏弘前城(青森県)
 弘前城(ひろさきじょう)は、青森県弘前市にあった城である。別名・鷹岡城、高岡城。江戸時代に建造された天守や櫓などが現存し、また城跡は国の史跡に指定されている。江戸時代には津軽氏が居城し弘前藩の藩庁が置かれた。
画像説明
001.jpg■弘前城・天守
 本丸唯一の現存建築である天守は層塔型3重3階の建物である。現在は独立式であるが、往時は北側に多聞櫓を付属させた複合式であった。この多聞櫓は明治29年(1896年)ごろまでに破却されている。天守の高さは約14.4メートルあり、現存する三重天守の中で最も低い。
 1627年(寛永4年)に焼失した5重天守の代用として、またロシア船の津軽海峡往来などの事態により幕府の許しを得て、本丸南東隅の辰巳櫓の改修を名目として建てられた。1810年(文化7年)着工、1811年(文化8年)に竣工した。往時は幕府への配慮から天守とは見なさず、櫓(御三階櫓)として扱われていたが、「事実上の天守」としての役割を持ち現在は書籍などの多くで天守として扱われている。昭和24年(1949年)に松前城天守が焼失したため、現在最も北に位置する現存天守でもある。
 外壁は白漆喰塗籠で、窓と狭間の上下に長押形を施し、また屋根瓦には寒冷地のため銅瓦を葺いている。外側に面する東面と南面は1層目と2層目に大きな切妻出窓を設け、窓には狭間窓を用いるなど小さな建物を華美で大きく見せる視覚効果が施される。一方で、内側である西面と北面には破風を全く付けずに連子窓を単調に並べただけである。いわゆる「二方正面」である。内部も通常の天守建築では最高級の木材や技術が用いられるが、弘前城の場合は普通の櫓と同等の木材が用いられ、構造的にも簡素であり、床も全て敷居を設けず畳を敷くことが想定されていないなど、当初から倉庫として利用されることを見込んだ構造となっている。
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004.jpg■未申櫓・
  二の丸の現存櫓は3層の辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓の3棟である。門は、三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭亀甲門の5棟がそれぞれ築城時の姿で現存し、以上は国の重要文化財に指定されている。このほかに、二の丸東門与力番所が移築復元されている。前述の通り現在は5棟の城門が残されているが、築城当初は10棟の城門があった。この内のいくつかの門は、工期の短縮などのため、周辺の城郭より移築されている。具体例としては北の郭北門(通称亀甲門)と三の丸北内門(通称賀田門)がそれにあたり、それぞれ大光寺城および大浦城から移築されている。
005.jpg■未申櫓
006.jpg■下乗橋
007.jpg■はす池濠
参考資料: ◇弘前城(青森県)〈Wikipedia〉
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2013年11月25日

14年前の東北ひとり旅の記憶(8)

❏蔵王エコーライン(宮城県・山形県)
   宮城県道・山形県道12号白石上山線(みやぎけんどう・やまがたけんどう12ごう しろいしかみのやません)は、宮城県白石市と山形県上山市を結ぶ主要地方道である。  両県の境になっている奥羽山脈・蔵王連峰をまたぐ区間に「蔵王エコーライン」、宮城県蔵王町の遠刈田温泉を貫く区間の一部に「蔵王通り」との愛称がついている。
画像説明
001.jpg■御釜(おかま)
  蔵王刈田岳・熊野岳・五色岳の3峰に抱かれた円型の火口湖。釜状なので「御釜」という名前がつきました。 湖面はエメラルドグリーンの水をたたえ、荒々しい火口壁と対比して神秘的な雰囲気。
冬の樹氷と共に蔵王の象徴となっています。 今まで26回の噴火を繰返し、最近では明治28年2月15日に噴火しました。 昭和14年に測深した当時は深さが63mありましたが、五色岳断崖の崩壊により年々埋まり、昭和43年の測深時には最大深度27.6m、平均深度17.8m、周囲1,080m、東西径325m、南北径325 mでした。
 湖水は強酸性のため生物は生息できません。水温は表面から10数mの深度で摂氏2度まで下がり、それより深度を増すと温度が高くなる特殊双温水層で、世界でも例がない湖です。太陽光線の当たり方で様々に色を変えるため、「五色湖」とも呼ばれています。南西から流れ出て濁川となり、賽の磧の北側を迂回して太平洋側へ流れ出ています。
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004.jpg■蔵王エコーラインの風景
006.jpg■不帰の滝
 駒草平の一角にある不帰滝は、御釜から流れ出る水が溶岩台地の上を流れ、泥絵具で彩色したような無気味な岩肌を噛みながら一気に落瀑します。高さ97.5m、幅14mあり、濁川の五色岳の東部に深く切り込んでいます。
 滝の名前の由来は、その昔、ここに鬼ばばが住んでいて登って来る男どもを捕まえて生き血を吸ってはこの滝に落としました。そこで、あの山へ行った者で帰って来た者はいないということから「かえらずの滝」と呼ばれるようになったという説と、訪れる人が帰るのを忘れて見惚れるという説があります。
007.jpg■三階滝
   細く3回に流れ落ちる三階滝は、高さ181m、幅7m、滝つぼ12mあります。標高700m〜572mの間にあり、後烏帽子岳東面を流れる石子沢から澄川へ3段に落下する滝です。日本の滝百選に選ばれており、特に紅葉時の眺望は息をのむ美しさです。
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参考資料: ◇蔵王エコーライン(宮城県・岩手県)〈Wikipedia〉
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2013年11月23日

40年前の東北ひとり旅の記憶(7)

❏達谷窟(岩手県)
 達谷窟(たっこくのいわや)は、岩手県西磐井郡平泉町に所在する毘沙門天をまつった堂。
画像説明
003.jpg■達谷窟
 1931年(昭和6年)-開基檀方である女性が、太平洋を眼下に望む八戸市湊町館鼻に「御霊石(ごれいせき)」を祀った。その目的は自らの身の病を癒すためで、熱誠なる御題目修行によってその病が平癒した。この話が弘まっていき、御霊石への参拝者が増えていった。
 1932年(昭和7年)-「宗祖日蓮大聖人第650遠忌」(日蓮大聖人の650回目の年回忌)を契機に、青森市蓮華寺の「蓮華寺布教所湊教会」として読経堂が建立された。
 1954年(昭和29年)4月27日-寺号公称の認可を受け、第三世大猷院日観上人が入山。太平山妙現寺の法灯に火がともされた。
 1983年(昭和58年)-「宗祖700遠忌報恩記念」「第四世大観院日順上人法灯継承記念」として、移転新築事業に着手。
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参考資料: ◇達谷窟(岩手県)〈Wikipedia〉
posted by 坊っちゃん at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 東北ひとり旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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